話、変わります。
私が会社を辞めた頃だったか、昨日の宴会メンバーの一人が私に言った。
「なんで、この会社に入ってきたの?」
その言葉の意味合いは、
「やりたいことがあるのだったら、この会社に入らず、最初からその道を行けば!」
「でないと、この会社で中途半端な仕事しかできない!」
おっしゃるとおりです。
彼とは同じ部署にいたこともあるが、彼は、とてもエネルギッシュに働いていた。人柄も良く…。
今、とっても偉い人になっているようだが、その彼から見れば、私はチャランポランだったに違いない。
そのときの会話は、時間が無くそれで終わっていた。
そして、昨日、再び。
彼が、脱サラした私に、
「実は、アンタがウラヤマシイったい」
「でも、俺にはそれが出来ない、そして、今の仕事がそれなりではあるが、好き」
「だから、それはそれでイイと思う」
そして、私は彼に
「会社の仕事、好きになれなかった、思い起こせば、学生の時から、本当にやりたいことが見つからないまま…、そして、やっと…」
「そして俺は、心底、好きなことでしか自分を動かせない」
「だから逆に、アンタがウラヤマシイったい」
好きなことでしか、自分を生かすことができない
「心底、好きなことでしか、自分を動かせない」
この意味を、ほんとうに理解してもらえる方は、少ないかもしれません。
私は、「根性!根性!」「忍耐!忍耐!」と自分で律しても、また、ヒトから言われても、体があまり動かない。
それは、他の人より苦手かもしれません。
でも、自分の、内から湧きでたこと、やりたいことに対しては、良く体が動きます。
起業したころ、始終仕事(木工)をしていました。
疲れ果てて、椅子の後ろのコンクリート床に、しばらく寝たり、
デスクワークで、PCのキーボードに手をおいたまま、寝ていたこともありました。
そのとき、根性!根性!と言い聞かせた記憶はありません。ひたすら、目の前のコトを追いかけていたらそうなっていた。
好きなこと、やりたいことだから、身を削れたのかもしれません。
そして、改めてわかります。
私は、好きなことでしか、自分を生かすことができない。
「自分の情熱」や「何らかの思い」だけが私のエンジン。
それは、先天的なことで、変えようと思っても変えようがない。
お互いが違う
人それぞれですよね。
彼と私が、本当にお互い理解しきれているかというと、よくわかりません。
でも、「お互いが違う」ということを、否定せずに受け入れていることは、幸せなことだと思います。
そして、「お互いが違う」=個性、でもあります。
個性を否定せず、受け入れることが大切なのかもしれません、
それしても、昨日の宴会の給仕さん、美人じゃった。
コロナ対策のそのマスク、邪魔!