福岡県北九州市の木工教室です。

わたしのこと①!「最後の砦(とりで)だった私」

木工教室ブログ:2020/3/17

もう、木工を始めて20数年、以前の会社を退社して13年になります。今までのブログは、受講生の方の作品が中心で、自分のことはあまり書いていませんでした。今からは、折々、書いていこうと思います。

少しは、楽しんでいただけたらと思います。

今日は、会社を辞めたころの、父や親せきにまつわるお話です。

み~んな、辞めっしもうた~。

90才手前でなくなったオヤジの話です。九州男児で古いタイプの人でした。

法事か何かの席か忘れましたが、親戚の人たちが寄り合って、飲食をしていた時のことです。

オヤジが、「うちがたん息子たちゃー、み~んな、会社、やめっしもうた!」(私の家の息子たちは、みんな、会社を辞めてしまった)

オヤジは人一倍声が大きいせいか、その台詞と共に、周りの笑い声が私の耳に届いておりました。私は、男3人兄弟の末っ子で、兄二人はすでに、会社を辞めており、私は会社を辞めて間もないころだったと思います。

私は、すべての反対を押し切って会社を辞めましたが、父は反対者のトップランナーでした。

残念だったに違いありません。

オヤジは、定年まで会社で働くことを、「勤め上げる」と言い方をしておりましが、「勤める」ではく、「勤めあげる」という言い方は、単に「職務を全うする」という意味以外に、生涯、真面目に会社で働くことに、美徳のさえ感じているようでした。

そんなオヤジが、息子二人が会社を辞めたのち、会社に残っていた最後の砦の私が辞めたことは、かなりショックだったのかもしれません。

悲しませてごめんなさい。

それにしても、私とその兄弟、みんな会社辞めているなんて、なんか変な血筋なんやろか?



辛かったやろ~?

父の亡くなった後の、これも、何かの法要の飲食のときだったか?

私は、ご年配の親戚の方から話しかけられました。


「会社、辛かったやろ~?」

私は「うん?何のこと?」

どうも私が、会社での辛さに耐えきれなくて辞めた、と思っておられるようで、…。

「は~、そんな風に思われているんだ~」と、初めてわかって、ちょっと驚いたのを思い出します。

たぶん、「生活の安泰を捨ててまで、何かの目的をもって会社を辞める」という価値観が、まったくの想像外のことかもしれませんし、「戦後の、食べていくのがやっと」の時代の方が、そう思うのは普通だったかもしれません。

そして、「会社を辞めるということ」は、「忍耐力が足りない」ことであって「脱落」を意味している場合もあるようです。

だから、「辛かったやろ~」の意味は、「うん、うん、あんた、辛かったやろ~、脱落者になったけど気にせんでええよ~」でしょうか?



私は、「辛かったやろ~」と問いかけられたそのとき、「はて、なんと答えれば?」その返答に困りました。

「確かに、会社の仕事は、とても大変でしたが、辞める理由はそんなんではなくて、…」

などとは説明しませんでした(^^)。


なんか、どう思われても良くて、肯定するでもなく、否定するでもなく、やり過ごしたように思います。



今後、転職、起業は、さらに増えていくのでしょうか? 

今の自分が携わる仕事そのものに、どうしても違和感がある方、
あるいは、自分の適職がやっと判った! などという方たちが、あまり躊躇なく転身する時代へと。

そのことが、一概にイイとは言えませんが、割と普通のことになっていくかもしれません。

オヤジの時代には想像できなかったことかもしれません。










わたしのこと!

9回 「働き方?まあ、これでイイっか!」

8回 「好きなことでしか…」

7回 「裏山に登った!血が騒ぐ!」

6回 「イイ人?」

5回 「失敗だらけの説得」

4回 「生存率10パーセント」

3回 「道具屋さんに嫌われた…」

2回 「アホでいいか。。」

1回 「最後の砦(とりで)だった私」


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